浮かれていた。
2018年3月11日、土曜日。
鎌倉で中小企業診断士の同期会があった。
その日は上着がいらないくらいの陽気に恵まれた。
仲間と再会し、
お昼は「津久井」でお好み焼きとビール。
さらに散策の途中、「大仏ビール」や「こたつみかんエール」と飲み続け、
昼間から酔っ払い状態だった。
そのあと、みんなでぶらぶら「鶴岡八幡宮」まで歩いた。
花が咲いている。
梅、そして桜。
季節はもう春。
まだ冬のしっぽを引きずる金沢より、
季節が一歩も二歩も早い、鎌倉。
ぽかぽか陽気で気分もアガる。
参拝したあと、江ノ電に乗って長谷駅まで行き、
まずは「長谷寺」へ。
階段を上ったところにある鐘堂にも美しい梅が咲きほこっていた。
と、いきなり鐘堂にいたお坊さんがお経を唱え始めた。
(えっ⁉)
何が始まったか分からず、一瞬固まった。
時刻は、午後2時46分。
(あっ‼)
(東日本大震災!)
酔いが吹っ飛んだ。
お経のあと鐘が4回撞かれた。
「黙とうを」
その声に、慌てて目をつぶり手を合わせる。
震災から7年(今年で8年になる)。
思い出は時間に風化され、遠い記憶になりつつある。
しかし、震災の爪あとは、被災者の心の傷となっていつまでも残る。
それは思い出なんかじゃない。
忘れようとしても忘れられない呪いのようなものだ。
もちろん被災者でもない自分には、
何もできない。
ただ、忘れてはいけない。
東日本大震災があったことを。
被災した人たちがいまも精一杯生きていることを。
そのあと訪れた「高徳院」では、
本尊の鎌倉大仏の前に僧侶が集い、
「アメージング・ストーリー」が斉唱されているところだった。
大勢の人の背後から大仏を拝んだ。
ごめんなさい。もう忘れません。
合掌。