1975(昭和45)年、小学六年生だったとき、
スーパーカーにあこがれていた。
その年「週刊少年ジャンプ」で、
池沢さとしの「サーキットの狼」の掲載が始まった。
それがきっかけだ。
ポルシェ、フェラーリ、ランボルギーニ。
スーパーカーといえば外車ばかりのなか、
国産でひときわきらめいていたのが、
トヨタ2000GT。
ただ、試作車含め337台しか生産されなかったという。
もちろん見たことはなかった。
その幻の名車に、
2019年5月8日、初めて出会ったのだ。
出会いは突然だった。
場所は名古屋のトヨタ産業技術記念館。
自動車館にたくさんトヨタの車が展示されていた。
それでも一目で、
あっ‼️
と思った。
流線型ボディにリトラクタブルのヘッドライト。
見間違うはずがない。
他の車と一線を画すステキなデザインだ。
しかも驚くのは、
こんなスタイリッシュな車が、1967年に作られたことだ。
1967年といえば、高度経済成長期のまっただ中。
1955年から第一次オイルショックの1973年までの高度経済成長期、
復興に向けいろんなベンチャーが生まれ、
それが今の「ものづくり日本」の礎(いしずえ)となった。
戦争ですべてを失った日本が、
マイナスの状態からいろんなものを作り上げた。
そんなキラキラ輝いていた時代が
たしかに私たちの国、日本にもあったのだ。
記念館で印象に残ったのは、2000GTだけではない。
自動車の自動組立や蒸気機関の実演を見て、
そのすごさに圧倒され息をのんだ。
平成の失われた30年。
令和もすでに、AIの分野で米中に遅れをとっている。
日本の未来はバラ色ではない。
でも、記念館を見て、
なんか大丈夫じゃない?
と思った。
そう思えるエネルギーのかたまりがそこにはあった。
そのエネルギーをもらって、
56歳の自分もまだまだがんばろう、と思えた。
ぜひ一度足を運んでほしい。