骨肉腫で右脚切断!? ー息子の危機に何もできないまま

ひとりごと
2019年の終わりにあたって一生忘れてはいけないことをもう一度

2017年4月。
10年間払い続けた養育費の支払いが終わった。
20歳になった息子は一浪して東京の大学に入った。
彼女もいるらしい。

ーー2007年1月。
ひとりで金沢に移住した。
金沢の隣町、富山に希望の仕事を見つけたからだ。
養育費だけはきちんと払おう。
元妻が再婚し、息子に新しい家族ができたので、
自分にはそれだけしかできなかった。
もう息子に会うことはない。
そんな覚悟をして金沢に来た。

それが7年前、元妻から急に、
「子供を見舞いに来てほしい」
とメールが来た。
それで、久しぶりに息子に会った。
ある大学病院の病室だった。

息子の右脚に骨肉腫ができたという。
100万人に1人か2人という難病らしい。
目の前の息子は、抗がん剤で髪の毛がなかった。
ものも食べられず、がりがりにやせていた。

右脚を切断するか?

そこまで事態は切迫していた。

身内しか入れない隔離病室。
彼のベッドのそばに、まっさらなバスケットシューズがあった。
それはわずか数週間前「クリスマスプレゼントに」とせがまれて、楽天で買ったものだ。

彼がそのバスケットシューズを履くことは一生ないんだな。

そう思った瞬間、涙がこみ上げてきた。
泣くのは自分じゃない。
泣きたいのは息子のほうだ。
わかっている。

わかっていたけど止められなかった。

あのとき何をしゃべったのか覚えていない。
覚えているのは、病室での息子の笑顔だ。
中学生で右脚がなくなるかもしれないのだ。
楽しいはずがない。笑顔でいられるはずがない。
なのに、ずっと息子は笑顔だった。

ーーあれから7年。
幸いにも右脚は切断せずに済んだ。
厳しいリハビリもこなし、
今はなんとか歩けるようになったらしい。

でも、もう息子には会えない。
この7年間、一度も息子に会わなかった。
お金を送るだけで、すべてを済ませてきた。
新しい家族があるんだからしょうがない。
それを口実に、お見舞いさえ行かなかった。

いまさら、どんな顔して息子に会える?

息子の闘いをそばで応援しなかった自分には、
もう「お父さん」と呼ばれる資格はない。

そんな情けない自分だけれど
それでもいつか、と思う。
いつか息子に会えるかな、と。

その時はまた、あの病室のように、
笑顔を見せてくれるだろうか?

お父さん、と呼んでくれるだろうか。

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