新型コロナウイルス感染症や東日本大震災のような災厄という「不条理」(*1)
この「不条理な世界」に生きるわたしたちは、どのように生きるべきなのか 。
これが、
カミュ『ペスト』のテーマだ。
*1 不条理とは、一般的に、筋道が通らない・道理に反すること。「なぜ?」と言われても答えが出ない、運命の悪戯であるとしか説明するしかないことをいう。
北アフリカのアルジェリアの町・オランに、
ある日突然、ペストが発生する。(*2)
*2 ペストとは、ペスト菌の感染によって起きる感染症である。感染症とは、細菌、ウィルス等の病原体の感染による病気のこと。
「四月十六日の朝、医師ベルナール・リウー(主人公)は、診療室から出て、階段口の真ん中で一匹の死んだネズミにつまずいた」。(カッコ内補記)(引用はすべて新潮文庫『ペスト』より)
物語はここから始まる。
「ペストや戦争がやって来るとき 、人々はいつも同じように無防備な状態にあった。」
たしかに、
コロナ発生の初期段階では、
わたしたちは無防備で、
「人間は天災を非現実的なものだと見なし 、まもなく過ぎ去る悪夢だと考える。」
という状態にあった。
さらに、
現代では、天災はつねに法や行政の対応と結びついている。
「問題は 、法律で定められた措置が重大かどうかではない 」
官僚的な対応に終始する
医師会会長のリシャールに対するリウーのこのことばは、
法律が現実に優先するという愚劣な官僚主義への痛烈な批判であり、
今回のWHOや日本政府の対応を彷彿させる。
やがて遅まきながら
オランの町はロックダウンされ、
ここから、
登場人物たちがどのようにこの不条理と戦い乗り越えていくのか
ストーリーが展開されていく。
パリから来た若い新聞記者ランベ ールは、
パリに残した恋人に会うためにロックダウンを破ろうと画策する。
数週間前にオランのホテルに居を定めた裕福な青年タルーは、
一見冷静そうだが「内なるペスト」との戦いに苦しんでいる。
市役所に勤める初老の下級役人グランは凡庸ながら「保健隊」の事務を黙々とこなす。
小悪党コタ ールはペストの混乱のなか逮捕を免れ唯一この状況を享受している。
司祭のパヌルー神父は、このペスト禍を天罰だといい、リウーの考えと対立する。
無神論者のリウーはいう。
「もし自分が全能の神を信じていたら 、人々を治療するのをやめて 、人間の面倒をすべて神に任せてしまうだろうから 、といった 。
つまり 、神という観念を信じてそれに頼ってしまうと 、結局人間の責任というものがなくなってしまう 。」
だから、
「ペストと戦う唯一の方法は 、誠実さです。私の場合は 、自分の仕事(治療)を果たすことだ。」
中条省平氏は、
「NHK100分de名著 アルベール・カミュ『ペスト』」のなかで、
こう総括している。
リウーやタルーやグランや 変化したあとのランベールのように 「自分にできることをする 」ことのなかにこそ、人間の希望があるということではないでしょうか 。
つまり、
「自分にできることをする 」
そして、
その誠実さが、みんなの連帯を生み出し、
この不条理な世界を生き抜いていけるのだ。
コロナ禍のいま、
「なぜ自分は(強制力も罰則もないのに)自粛しているのか?」
その答えがここにある。